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本当にこのまま採決されて良いのだろうか? [生命学]

 今国会(2009年6月8日現在)で、臓器移植法の改正案についての議論がいちおう盛んになって来ているようです。しかしその「盛ん」の内容が気になっています。

 「枯れ木も山の賑わい」というか、全体を把握せず、一つ二つのわかりやすい論点だけを無理に選び出して、そこだけを「盛ん」に議論して、あとはわかりにくいので放っぽり出したまま(小泉さんが仕掛けた郵政選挙みたいな感じ。郵政民営化ばかり叫ばれて、後はわけわからんことにしてしまった。その結果の一つが現今のいわゆる「ワーキングプア」問題。)で「事実として盛んに議論したからこれで良い」と言って、それで採決してしまいそうな、そんな勢いが感じられて、ちょっとかなり深刻に危惧しています。
 事実として議論は盛んになりそうだ、しかしその盛んの方向性が問題だろう、そう思っています。そして、今のままだと、その「盛ん」の方向性は、必ずしも実りある方向に向かっていると言い切るには無理がありそうな気がしているということです。このままでは重大な、文字通りの意味でのみ「致命的」な積み残しを生じかねないのでは?と心配でたまりません。取り返しが付かないことになってしまいそうな気がしてなりません。

 30日「当のこどもに。」から自分の書いたことを引用して改正案の焦点・争点を整理すると、

◇本人の意思と関係なく「脳死」判定しても良いか悪いか
◇本人の死亡が条件となるような摘出→移植でも臓器の移植先を特定の親族等に本人が指定できるようにしても良いか悪いか
◇現行の「自己決定」を前提とした「脳死」判定→摘出、でいくとして、現在15歳以上となっている「脳死」判定を受け容れるか否かの「自己決定」の年令制限をどのくらいまで引き下げるべきか
◇「脳死」の判定基準をもっと厳しくすべきか否か


‥‥となります。そして、てるてるさんの引用で、現在提出されている改正4案の特徴を挙げると、

A案
脳死を一律に死とし、
本人が事前に拒否の意思表示をしておらず、家族が同意したときに、脳死判定をおこなうことができ、
(*)
本人の事前の書面による承諾が無くても、家族の同意だけで臓器提供できる。
事前に書面によって臓器提供の意思表示をする場合、優先的に提供する人を指定できる。

B案
現行の臓器移植法の条件のとおり、本人が事前に書面によって臓器提供の意思表示をしており、家族も拒否しない場合に限り、臓器提供できる。
ただし、その年齢を、現行法のもとでは、ガイドラインにより、民法の規定で遺言可能年齢とされている15歳以上とされているものを、12歳以上に引き下げる。
また、A案と同じく、事前に書面によって臓器提供の意思表示をする場合、優先的に提供する人を指定できる。

C案
現行の臓器移植法の条件のとおり、本人が事前に書面によって臓器提供の意思表示をしており、家族も拒否しない場合に限り、臓器提供できる。
脳死判定を現行法よりも厳格にする。
現行法にない、生体移植についての項目を追加する。

D案
現行の臓器移植法の条件のとおり、本人が事前に書面によって臓器提供の意思表示をしており、家族も拒否しない場合に限り、臓器提供できる。
15歳未満は、家族の同意と第三者機関による審査によって臓器提供を可能とする。
(優先提供の指定については不明)


‥‥となります。(
http://terutell.at.webry.info/200905/article_1.html
「「もの」ではなく、「ひと」として」


 で、マスコミが国会の様子を報道するときには、B案とC案は実質的に放られて、A案とD案との間で「どっちが良いか?」で採決がなされようとしている、ということになっている。

 なぜマスコミはそういう乱暴な報道の仕方をするのか、よくわかってなかったんですが、今日やっとひらめきました。

 ことの重大性を見誤っている。それだけです。そう考えるといろいろすっきりしてくる。

 いまの日本では、ものすごく乱暴な言い方をすると、感情論でお涙頂戴な映画やドラマが大流行しています。そして大体が「死んでしまった!」が無条件に悲しくて、「生きているんだ!」が無条件に礼賛される、その情勢に乗っかっている。ときどき「死んでしまった!でもその思いは生きてる!」的なのが入る。しかし「でも、やっぱり死んでしまって可哀想‥‥」というところに落ち着いてしまう。

 ドラマや映画などの「つくりもの」で飽き足らなくなったら事実を持ち出す。ノンフィクションという、純然たるフィクションの一分野で泣きたがる、泣かせたがる。

 いや、人の死が無条件に悲しいモノであるという事実を「けしからん」と言うつもりではないんです(悲しいだけじゃないことも指摘したいけど今はしない)。悲しくても嬉しくてもともに流れることのある涙が一種の「癒し」をもたらすと言う事実に対して「けしからん」というつもりもないんです。

 ただ、涙が流れる瞬間は「感情」の瞬間であって決して「論理」の瞬間ではないということを指摘したい。また、「癒された」イコール「救われた」じゃないことも指摘したい。「癒された」イコール「考えた」・「考えて結論が出た」じゃないってことも指摘したい。感情だけに立脚して臓器移植法の改正を考えては決していけないんです、ということを指摘したい。

 こどもの移植に道が開かれるのは良いことだと思う。

 外国に行かなくても移植できるならそれも良いことだと思う。

 ただし、それらは、難しいところを完全に放り出して、わかりやすいところ・感情的なところだけかいつまんで伝えられた大多数のヒトが「そうしても良いよ」と言ったからやっちゃいましょう、っていうふうにして行われるべきことではないと思います。

 こと臓器移植法の改正の問題について言えば、「難しいことは抜きにして、一体どうすればいいんでしょう? どの改正案がいちばん良いんでしょう?」という質問に対する回答は

「保留すべきです」

しかあり得ないと思います。

 わからなくて他者に聞くのなら、選べません。あたりまえのことだと思います。(説明されなきゃわからないっていうのは説明されてもわからないってことだそうです。なるほどと思いました。)

 とても難しい問題なのです。自分のわかる範囲で真摯に考えて、それで一応の結論を出すしかありません。感情で、ではなく、考えて、です。

 ‥‥と書いていて、ふと、わたしは読んでるヒトを何とかして説得したいと思ってるってことに改めて気付きます。どのように説得したいと思っているのか?

 「考えるようになってください。」という説得です。説明されたり説得されたりすることを望まずに、臓器移植の問題を、自分の頭で考えてください。

 そう説得したがっています。

 妥当なラインだと思います。何がどう妥当なのか? それは不明。

 そのときに役立つと思われるのは、‥‥以下です。

http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm
臓器移植法改正を考える
(以上、森岡正博)


http://terutell.at.webry.info/200906/article_1.html
臓器移植法改正B案とC案についても報道を

http://terutell.at.webry.info/200905/article_4.html
2ちゃんねる「我が子の臓器提供できますか?」

http://terutell.at.webry.info/200905/article_3.html
こどもに臓器移植法改正を説明するなら……

http://terutell.at.webry.info/200905/article_2.html
「不可逆的深昏睡」=「脳死」

「もの」ではなく、「ひと」として
http://terutell.at.webry.info/200905/article_1.html
(以上、てるてるさん)

 ではでは。

 (えらそうだけどいまいち言い切れてません。)


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コメント 2

てるてる

ちしゅーさん、こんばんは。
今回の臓器移植法の議論では、
むずかしい、わからなくなった、
と書いているブログをたくさん見ました。
とてもいいことだと思います。
一時的なことかもしれないけれど。
美談対決仕立てにしている、とマスコミを批判しましたが、
それでも、多くの人がこの問題に注目して、
考え込んだ、
という点については、マスコミも、ある程度、役割を果たした、
と思います。
by てるてる (2009-06-08 22:31) 

chishu

どうも、こんにちは。お世話になっています。
なるほど、マスコミは、そういう考え方もあるかもしれません。
しかし「第三の権力」というユメみたいなものがありますから、
「ある程度」で満足してほしくないモノです。
そういえば、わたしが非難しがちな道新、去年のいつだったか、「ほんとのこというと俺もよくわからないんだよね」と言ってるような社説を読んで、ちょっぴり好きになりました。
by chishu (2009-06-09 00:05) 

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