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「長期脳死」と「脳血流」と「壊死」と。 [生命学]

 てるてる日記の

「「長期脳死」を否定する議員や政策秘書たち」
http://terutell.at.webry.info/200906/article_5.html

の本文もさることながら、そこに寄せられたコメントに対する、てるてるさんの返答に、ちょっと驚きました。わたしいろいろ、脳死についてまだまだ知らないことがいっぱいです。

 何に驚いたかというと、‥‥ええと。まず、コメント欄からまるまる引用します。
(このコメントは、「脳の中の血流が途絶えてしまったらどうなりますか?脳は壊死してしまいますよね?その状態で30日も生きられますか?」という、「長期脳死」に否定的な立場から寄せられたと見られる質問に対する回答です。)
テレビで紹介されていた、1歳半ぐらいで脳死といわれて、以後、数年間、自宅で療養している男の子の場合、SPECTという検査をしてみると、脳血流がないことがわかったそうです。
しかし、現在の脳死判定では、脳血流の検査はありません。現在の脳死判定は、脳の機能の停止を見るもので、脳の細胞がこわれているかどうかを見るものではありません。
そういう意味では、誰も、完璧な「脳死」判定を受けていない、ということになるのかもしれません。
だから、今は、脳死判定を受けた人のうち、誰が長期脳死になるのか、ならないのか、わからない。数日で心臓が止まると思いつつ介護していたらあにはからんや、一箇月以上も心臓が動いている、ということが、実は、おとなでもあります。
そういうこともあるから、森岡さんなどは、長期脳死になるのかならないのかを判定する基準を研究することが必要だと主張されていますね。
てるてる
2009/06/29 20:28

 ‥‥つまり、脳血流がなくても脳が壊死しない場合が実際にある、ということです。(2009.07.01.01:30 訂正)

 ‥‥つまり、脳血流がなく、脳が壊死していて、いまの基準でいえば間違いのない「脳死」状態であっても、長期にわたって、心臓が停止せずに生きている、という場合が実際にある、ということです。(2009.07.01.01:30 訂正)

 立花隆の『脳死』で提案されていたのは、脳死判定時の「脳血流」の確認でした。「脳血流がないなら間違いなく壊死してるはずなんだから、それを確認すれば自ずと〈脳死〉もわかるはず。だから〈脳死〉の判定時には〈脳血流の確認〉をすべきだ」的な言い方がなされていた。

 その後、いろんなシンポジウムを聞いたり本を読んだりして知ったのは、

「脳血流ゼロなんてのは心臓が動いている限りありえない」とか、
「脳血流なんて確認しようがない」とか、

「脳血流があるとかないとかそんな難しい医学的な事実を考えて〈脳死〉を考えるのは一般市民の役割ではない。〈脳死〉はそんなヤヤコシイところから考えるべき問題ではない。それは考えないことにしよう」的なことを壇上のとある人が言ったら「わーっ!」と賛同の拍手が起こったとか、

 そういうことでした。(言いたいことがずれて来た。いやあれはすごくびっくりしたんですよ、事実をテケテケ収集して考えるつもりだったのにそれを考えないで良いだとう? って。とにかく。)

 わたし、「脳血流がない」イコール「壊死」だと誤解してました。違うのですね。脳って不思議です。

 いや、たぶんものすごい例外なのかもしれませんよ。でもそれが本当ならば、なぜそんなことが起こるのか、森岡さんが言うように、きちんと研究されるべき問題だと思います。ということで森岡さんの引用。

もう一度言うが、日本では、法的な次元での「本当の」(臨床的ではない)脳死判定を、15歳未満に行なうことはできない。だから、日本には、15歳未満の「本当の」「法的脳死判定された」脳死の子どもは存在していない。ややこしい話だが、重要ポイントなので押さえておいてほしい。
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20090622
2009-06-22
■[雑記]子どもが「長期脳死」にならないことを判定する脳死基準が必要だろう
(これを孫引きという。)

 とかく脳死はややこしいです。わかったつもりでしたが、やっぱりまだまだです。先日の私の「へなちょこ」は、やはりダメですね。。。

 「こども脳死臨調」は、対案がどんなことになろうとも、どんな修正になろうとも、これは必須だと思うのです。


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コメント 9

てるてる

テレビで、SPECT検査をやってみると、脳血流がないことがわかった、と言っていた、と私が思っているのは、スギケン先生の掲示板でも、みづほ君として、何度も取り上げられていますが、雑誌『読売ウィークリー』2008年2月17日号にも、「『脳死』を生きる子どもたち」というタイトルの特集で、取り上げられています。
そこでは、

>画像診断では、脳の大部分が日に日に溶けて石灰化していった。
(略)
>7歳の時の検査では、脳の血流が途絶えていることも確認された。

と書いてあります。
この特集には、数人の長期脳死のこどもさんが取り上げられています。
図書館などで御覧ください。
by てるてる (2009-06-30 22:24) 

てるてる

雑誌『読売ウィークリー』2008年2月17日号「『脳死』を生きる子どもたち」では、次のような例も取り上げられています。

>確実に脳死だったかは定かではないが、昨年10月28日に2歳で亡くなった岡山桂澄君(神戸市)の母、史子さんは、息子をとても誇りに思っている。
>生まれた翌日、突然の心停止で意識と自発呼吸がなくなり、搬送先の新生児集中治療室で生死の境をさまよった。脳の大部分が溶け、頭の形まで変わった。ところが半年後、ため息のような呼吸が戻った。
by てるてる (2009-06-30 22:28) 

chishu

脳が溶融していても、生きている。
本当に、脳って、いやにんげんって、いや「いのち」って、すごいんですね‥‥。『読売ウィークリー』確認してみます。

っていうか迅速なコメントありがとうございます。それもびっくりです。
by chishu (2009-06-30 22:36) 

plant

こんにちは。
ふと思ったのですが、(「脳死」者からの)臓器移植にどちらかというと疑問を持った上での議論としては、「脳死基準」は一つの袋小路ではないか、ということです。
そもそも「死生観」が問われている場面では、二度と意識が戻ることがないはずの状態でも「死」とは思えない、というような感性の存在も念頭にあったのではないでしょうか。そういう感性にとって、脳死基準の議論はどんな意味になるのでしょうか。
大筋をよほどしっかり整理しておかないと、脳死基準の議論によっていつの間にか特定の「死生観」に巻き込まれてしまいそうな気がするのです。
ちなみに、血流が本当にゼロであれば、細胞は間違いなく死にます。大脳が死んでも最奧の一部が生きていれば、心臓が動いたり身体が成長したりできるかもしれません。心臓は機械的な臓器なので、適切な電気刺激だけで動き続けます。さらに、心臓や肺が止まっても、単純なポンプと人工肺とで血液を回せば、身体は成長し続けるかもしれません。
要は、そういう状態を、モノと見るか、生命と見るか、あるいは本人や家族の判断に任せるか、でしょう。私は“任せる”ことが最も重要だと考えています。
by plant (2009-07-01 04:58) 

chishu

「まったく本人に任せる」ことにしたのが現行法。
かつ
「本人の意思がわからない場合は拒否の意思」が現行法。
それを
「本人の意思がわからない場合は容認の意思」に
180度変えるのがA案。
「本人に任せる」じゃなく「こっちに任せてね!」。

対し、

それは乱暴だから原則としてない。
だけど提供数が増えるにはどうすべきか。
「まかせる」とはいっても基準ははっきりさせるべきだろう。
子どもの意思はどうするか。
そのあたりを真剣に考えているのがB案以降。

だと思います。

なので、たしかに、脳死の基準は、法律の根幹に関わる総論的な問題でありつつ、各論の問題でもあると思います。
by chishu (2009-07-01 08:15) 

chishu

『読売ウィークリー』、マチの図書館にも、おとなり帯広市の図書館にも置いてないようです。19日?の杉本さんのインタビュー記事@朝日新聞も探せなかったし、なんか、津軽海峡は深く、日高山脈は高いようです。
by chishu (2009-07-01 14:55) 

plant

こんにちは。
幅広く考えてみたので、記事にまとめてみました。
よろしければご覧下さい。
http://fungi.blog.so-net.ne.jp/2009-07-02
by plant (2009-07-02 08:05) 

奇跡

私、その質問をしたものですが。

私はもう半世紀前に一度、難病からの高熱により生死をさまよい一旦は魂が抜けたようになったことによる情景を鮮明に覚えていて、それ以外のことは全く覚えていないんです。

その時、医師はまず助からない、万が一助かっても脳が使い物にならないというようなことを母が聞いてます。

青年期を過ぎたくらいから、頭の中で血の流れる音がするので診察を受けたところ脳血管の奇形によるものだと知りました。医師は原因は分からないと言ってました。

最近、脳死のことを知るようになってそれに近い状況だったのかな?と思うようになったので、あの質問をしました。
by 奇跡 (2009-07-12 16:21) 

chishu

<奇跡さん

コメントありがとうございます。

‥‥ということは、長期脳死に否定的な立場からではなく、純粋に質問されてたということなのですね。決めつけて失礼しました。どうもすみません。わたし、よくやってしまいます。

> まず助からない、万が一助かっても脳が使い物にならない

医師のこのコトバは、「近い状況」ではないんじゃないかと思います。「脳死になるだろう」という意味では多分なく、大脳(だけ?)が使い物にならなくなるだろう、という意味っぽく思えます。何らかの障害が残る、という意味かもしれません。ともかく「脳死になるだろう」という意味ではなさそうに思えます。

なぜなら、半世紀前は脳死(臨床的診断による)になったら「3日以内に死んでしまう」(心臓が止まる)のが「常識」だったはずだからです。だから医師が「脳死になるだろう」と思うのなら、「助からない」とだけ言うと思います。

そうではなく、脳死にはならないと思ったから「助かっても脳が使い物にならなくなる」(3日以内に死ぬことはない)と言ったのでは?と思います。

(でも、どうでしょう? そこまで考えての発言ではないのかな‥‥。)

何にせよ、お母さんには「死を覚悟してください」としか聞こえない内容だと思います。なんというか、変な言い方ですが、失礼な言い方になるかも知れませんが、生きていてくださってよかったと思います。

その脳血管の奇形は、そのときの高熱と関係があるんでしょうか?って医師がわからないって言ってるなら、わたしらにはわからないですね。

明日は参議院で改正案の採決だそうですが、そしてA案が通ってしまいそうなんだそうですが、しかしA案を推している人たちが言う、「長期脳死は判定してないから脳死じゃない」は真っ赤なウソであり、無呼吸テストまで実施した、判定基準を遵守した臨床的診断による、脳が融けている長期脳死で、30日以上生きている場合が、本当にあるそうです。

議員さん方は、そんな状況なのにばたばた採決して良いと本当に思っちゃってるんでしょうか。大丈夫なんでしょうか。

長くなりました。決めつけてしまい、どうもすみませんでした。
by chishu (2009-07-12 21:41) 

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