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No! Cult [宗教]

本願寺派が無料で配布している中でも最も良いものの一つ、

No! Cult

の新しいのが出ていました。帯広別院さんに何枚かあったのを一枚いただいて来ました。ありがとうございます。さすが直属寺院。早い。そして春先、カルトが手ぐすね引いてるまさにこの時期ですから、これはかなり良い取り組みだと思います。十勝組(とかち-そ)内の寺院にもきっと近日中に届くのだと思います。

(もらって来たものをスキャンしました。)

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表紙

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開く

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左を開く

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右を開く

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裏表紙

クリックすると、ちょっと小さいけど、内容も見られます。

よろしくお願いします。


新歓の時期ですね。ご注意ください。 [宗教]

こんにちは。もう3月も下旬です。各大学や、その他の教育機関では、そこに在籍していたりしていなかったりする人たちが、自分の所属する部活動やサークル、あるいは宗教への「新入生歓迎・勧誘」のための活動を開始していることでしょう。

偽装勧誘をしてくる人たちがいるので、注意してください。

キャンパスの中はもちろん、外でも、インターネットでも、自分が何なのかを偽って、偽装して、やってくる人たちがいます。だから、本当に、本当に、気をつけてください。気をつけても気をつけすぎることはないと思います。

SNSで「いいね!」をつけられまくったので、良い印象を持ってページを訪れてみたら…… ということはいっぱいいっぱいあるそうです。Facebookでもそういう人を何人も見かけております。

ですので、こういう時期ですから、
参考になるかも知れない記事のURLを添付します。

しかし、本当に、大学に限りません。新入生に限りません。
偽装勧誘には、本当に、気をつけてください。
もし名乗られたとしても、じゃあ安全だと錯覚せず、まず、ぐぐってみてください。


「淑徳大学、親鸞会講師の講座を事前に中止」
やや日刊カルト新聞 (2011年5月20日金曜日)
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fdailycult.blogspot.jp%2F2011%2F05%2Fblog-post_20.html%3Fm%3D1&h=cAQF7Wtmg

「USENが浄土真宗親鸞会布教使、岡本一志の講演放送を自粛」
やや日刊カルト新聞 (2011年3月16日水曜日)
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fdailycult.blogspot.jp%2F2011%2F03%2Fusen.html&h=fAQESmSNv

「小山市の「いきいき大学」は親鸞会のダミー組織です」
さよなら親鸞会 元会員から見た親鸞会のすがた (2007年7月24日 (火) )
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fsayonara1929.txt-nifty.com%2Fblog%2F2007%2F07%2Fpost_c6e1.html&h=cAQF7Wtmg

日本脱カルト協会からNHKへの「要請書」2009年8月20日
http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fwww.jscpr.org%2Fother%2Fto_nhk.pdf&h=GAQEqlHrW

ソレに関連した本も紹介します。

北海道大学出版会『大学のカルト対策』
http://www.amazon.co.jp/dp/4832933825/

藤倉-善郎『「カルト宗教」取材したらこうだった』宝島社新書
http://www.amazon.co.jp/dp/4796697225/

レビューも参考にしてください。
(わたしが書いたものもあります。)


以下、思い出ばなし。

わたしが大学に入学したのは1991年の4月でした。親からは「何があっても親鸞会にだけは入らないように! なぜなら(略)!」とか、「応援団とかスポーツ系のサークルや部活動はお前には絶対無理だから勧誘されても入るなよ」とか、いろいろ聞いていたので、新歓のビラと声の舞うキャンパスの中、わたしは何も受け取らずに、何にも耳を貸さずに、ほとんどどこからの誘いにも乗らずに、……学部・学科の公認サークルのように見えた(実際には当時は「準」公認だった)、入学手続きをしてくださった東京の知り合いがビラを受け取っていて重要書類と一緒に北海道まで送ってくださった「教育学部国語国文学会」に、脇目も振らずに、入ったのでした。

とにかくキャンパス内の新歓のあのむちゃくちゃなノリは、当時も駄目でしたし、今でも完全に駄目だと思います。

こないだ見た『ゴールデンタイム』というアニメの第1話は、そのムチャクチャなノリをうまく表現していて、すごいなと思いました。

すごい無茶。にゃー。

ではでは。

面白い [宗教]

『ドアの向こうのカルト』、たぶん、いま読んだとこが佳境かと思う。吹き出した。

わたしの大好きな、とあるジ・アーティストもきちんと出てきた。彼は普段はどんな服を着てるのかなあ。背格好の話は出てきたが服装は書いてなくて少し残念。

ここから先はライブの後にとっておこう。とても面白い。

ちしゅー
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返信が来ない。いそがしいのだろう。か。 [宗教]



というわたしのツイートに、
島田裕巳氏が


と反応してくださったので、嬉しくなり、


と返したら、


と返してくださったので、嬉しくなり、




と返しました。

(まあ、「仮に」では全然ないんですけどね。
 そこは「大人の対応」ってやつです。)

内容的に嬉しくない返信が来るのではないかと思いつつ、
でも、内容はともあれビッグネームからの返信って嬉しいよなと思いつつ、
wktkしてます。

……

という上記の日記の原稿を書いたのが、24日でした。
もう26日になりましたが、その後、返信はありません。

島田氏、わたしの返信が理解の範疇を超えているってことはないと思う。
たぶん忙しいんだろうなあと思います。

でも、他の方には返信されているようだなあ。。。

そりゃそうだと思う。 [宗教]

読んでない本の話。

eireneさんによると、キリスト教についての本が出ていて、あまり評判がよろしくないようだ、ということのようです。

しかし、キリスト教概説を新書の厚さと値段で書くのは、ちょっと無理がある。

そりゃそうだろうなあと思います。キリスト教に比較すると歴史の浅い、たかだか1/3くいらいの浄土真宗でさえかなりいろいろあるので、本気で書こうと思ったら新書では難しいと思います。あっちもこっちも新宗教が出てきてるから余計です。

橋爪大三郎さんは、宗教ソノモノについての、あんまり正確でない概説書もあります。入門書の(∞)入門書としては使えますが、しかし、月を指し示すまさにその指のように、指の向こうに月が見えたら即座になげうっていくべき本です。以下。

世界がわかる宗教社会学入門
【密林】
http://www.amazon.co.jp/dp/4480842586/
http://www.amazon.co.jp/dp/4480422277/
【bk1】
http://www.bk1.jp/product/02036182
http://www.bk1.jp/product/02669543

ハードカバの方は、自炊という意味で自炊という言葉が使われていなかったころに、1ページ1ページスキャンして自炊した本の一つ。

そういえば明日はbk1から聖書の本が届きます。

上村静
『旧約聖書と新約聖書
シリーズ神学への船出 「聖書」とはなにか』
【密林】http://www.amazon.co.jp/dp/4400300021/
【bk1】http://www.bk1.jp/product/03492553

わくわくです。聖書は新共同訳を持ってますが、真宗聖教全書も註釈版も法然上人全集も精読してない身であります。推して知るべし。でもマンガでは新約も旧約も読めました。わからないところはわからないなりにわかった感じになれます。これで終わりにしてはもちろんいけないのだと思い、……それでやっと上の、上村静氏の、それでも入門書を購入すると。こういうわけであります。

マンガの聖書はこんなのがあります。

【密林】
旧約 http://www.amazon.co.jp/dp/4062562766/
新約 http://www.amazon.co.jp/dp/4062563118/
【bk1】
旧約 http://www.bk1.jp/product/01577103
新約 http://www.bk1.jp/product/01659338

……

このクニのゆるやかな「常識」としては、たぶんですが、キリスト教は「わからない」という前提があるのだと思います。能動的に知ろうとしてアプローチしなければ絶対にわかるものではないという共通認識みたものがあるような気がします。(気が。) だから、勉強するにはこういう本を読んでやっていくしかない、と。(そこで橋爪大三郎を読んで完全に知ったつもりになられると困るわけではありますが……。)

対し、仏教は、なまじ日常語に使われたり道を歩いていると「風景」のようにそこにアタリマエのようにあったりするものなので、殊更に理解しようとしなくても理解し尽くしているかのように誤解されている感じがします。知ってるつもりの人と話すのがいちばんしんどい。何もわかってないのに知ってるつもりの人の誤解を解除するのって容易ではない。わたしにはほとんど無理です。知ってるつもりの人の誤解を解ける入門書って、少ないと思います。知ってるつもりの人をますます無知にしていく本はゴロゴロしてる印象でもあります。

何が言いたいかというとですね。

地上波TVをダラダラ見たり授業や講義を受けたりして「あー!勉強した!」と思うのはいい加減にしてほしいということです。勉強ってのは能動的に、本を読んだり、せめて検索したりしなければならないし、そしてただ「読む」とか「書き写す」とかではなく、きちんと自分の中に位置づけられなければ全然だ、ということです。

自戒ばっかりです。(>_<。)。

高校の時の日本史の先生が素晴らしい先生で、それをよくよく教えてくれました。そう、「先生」っていうのも同じで、知識をあっちからこっちに移動させたりコピペしたりするのが役割ではないということです。そんなことは先生の仕事ではないと思います。そういのは移動図書館(あっちからこっち)や、似非学生の似非論文(コピペ)に任せておけば良いと思います(現状、コピペ教はよくわかりません。)。ウソでも能動的に考える人が出来ていくのを邪魔せずに促進する、それが先生なんだと思います。

ということで、ええと。

「聖書の本が届くから楽しみだ!」に尽きます。いろんな宗教で「信心」を言う、そこがわからなくていろいろわたしこんがらがって遠回りした、そのときに真宗と対比させて衝撃を受けたキリスト教。聖書はその基本であると思います。

読むときのBGMはリヒターのマタイ受難曲にしよう。。。

文藝春秋5月号の『信仰入門』を読みつつある。 [宗教]

 池上彰の「信仰入門」(文藝春秋5月特別号)、ひとつめの島田裕巳のを読んだ。

 昔からわかっていたことではあるが、今回あらためてとてもよくわかったことがある。つまり島田裕巳は宗教学者の肩書きを持ったシロウトである。いや、宗教について膨大な知識を仕入れているようであるから「宗教教団や宗教者についての学者」つまりクロウトではあるのかもしれない。しかしそれでいて「宗教」がなんなのかをまったくわかっていないし宗教の根幹にある「信仰」についてもこれっぽっちもわかっていない。宗教も信仰もわからないなら「宗教のことを全部解っている宗教学者」のような顔をして語ってはいけない。知識だけで宗教や信仰について語り尽くせると勘違いしている宗教学者は要らない。

 1995年、島田氏はオウムの事件をうけ、わーわー、おろおろして、宗教学者の肩書きを自ら外して大反省をした。あのときの真摯さはどこへ行ったのか。言ってる内容がカスでも態度が真摯であるなら多少はマシであるのに、今は残念ながら当時の真摯さのカケラもなくなってしまっている。あの事件の前の島田氏と同じように「思う」「かもしれない」の憶測と希望的観測と勘違いで突き進んでいるのが今の島田氏。つまり、無自覚のうちに再び同じ事をやるつもりなのだ。そしてまたとんでもない事件が起こって、わーわー、おろおろして、ほとぼりがさめたら、無自覚に三度やるのだ。だんだんわかってきた。この人はそういう人なのだ。

「池上 当然、島田家はどうするんですか、と聞かれますよね(笑)。
 島田 よく聞かれますけどね、まだ死なないって(笑)。」p.402

 自分が死ぬことを考えろ、せめて葬式についてだけでも考えろ、と言ったのが『葬式は要らない』だった。あの本で島田がやったのは「まだ死なないと思っていても必ず死ぬからその時のことを今から考えろ」という、曲がりなりにも筋の通った提言だったはずだ、本の内容も著者の態度も分析その他も完全にカスであったとはいえ。それなのにその本人が「まだ死なないって(笑)。」で済ましている‥‥だと? お前は一体なんなんだ。

 ‥‥というか、ネ。こんな「まだ死なないって(笑)。」なんてことを言ってる人がどんな知識を仕入れて何をどう言ったところで、その人が見つめているのが宗教や信仰であるはずがないネ。

 発泡スチロールで出来たハリボテの「ご本尊」を見て「この宗教はホンモノだ!」と断言したかつての島田氏のように、何か全然違うものを宗教的な現象と勘違いしているだけだ。

 加えて池上彰も酷い。島田にそそのかされてこんなことを言ってもいる。

「無宗教だと変に後ろめたく思う必要はないわけですね。むしろ個別の宗派を超えた新たな信仰のモデルになる可能性もあります。無宗教でも、十分天国に行けますね(笑)。」p.404

 「新たな信仰のモデル」? 冗談もたいがいにしてください池上先生! 宗教を知らない者が宗教を知らない者から「講義」を受けて盛り上がって「天国に行けますね(笑)。」しっかりしてくださいセンセイ!(カタカナ化)わかっている人から聞いても「正直わからん」と思うのが宗教ですよ。知識で捉えられないのが、知識のアプローチを拒否しているのが宗教であり信仰なんですよ。←という知識が入ってもまったく捉えられないのが宗教です。そんなこともわからずに宗教や救いを語ってはいけませんよセンセイ。

 ‥‥ともかく5月号の「信仰入門」が読者にとっての入門では全然ないことがわかる。これでは入門にならない。ということは、これは読者にとっての入門ではなく、池上彰氏が自分自身まったくわかっていない信仰について少し真剣に学ぼうと思い(失敗し)つつある、そういう入門なのだろう。いや、でも、この後には高橋卓志、釈徹宗にも「入門」しているからひょっとするとそれ以上のことになっているのかもしれない。(でも冒頭には「宗教の基礎知識」ってある。ああ、だめっぽい。)

 しかし批判したり悪口言ったり「あほあほあほ!」って罵ったりするのって本当にラクですね。だめだだめだ。島田が中沢を非難する本を出したくらいのことでいいから、せめてあのくらいできないとてんでだめだと思うぞわたし。

 ではでは。

(Twitterでのぼやきに加筆・修正)

信楽先生が元気です。 [宗教]

信楽先生が何か受賞されたそうです。
仏教伝道文化賞:信楽峻麿さん「A項」受賞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110119k0000m040119000c.html

 仏教の伝道に貢献した人をたたえる第45回仏教伝道文化賞(仏教伝道協会主催)の選定委員会が18日開かれ、親鸞の研究を通して大乗仏教の意義を掘り下げた元龍谷大学長、信楽峻麿(しがらき・たかまろ)さん(84)=広島県呉市=が研究・論文などを対象にした「A項」を受賞した。実践者を対象にした「C項」には、スリランカで仏教精神に基づいた農村開発運動を展開するサルボダヤ会代表、アハンガマゲ・テューダ・アリヤラトネさん(79)が選ばれた。
毎日新聞 2011年1月18日 23時59分
おめでとうございます。そうですか、84歳だったんですね。お元気であります。憎まれっ子世にはばかるって言いますけど、憎まれても・憎まれなくても、元気な人は元気だし、そうじゃない方はそうじゃないし、いろいろですねえ。

わたしとしては、ヒトからそんなに憎まれずに、毎日が特別なものである一日一日の総体としての日常をそれなりに充実して元気で長生きして、三日だけ患って往きたいものです。

ではでは。

中標津で安居の続き(?) [宗教]

中標津(なかしべつ)におります。

Cブロック僧侶研修会、安居副講の川添先生が講師です。
安居の時よりはるかに生き生きと講義されてます。
現生正定聚について、ひろがっていく話です。楽しいです。

全然わからなかったけど、やっぱり本黌での講義って、きっと緊張なさってたんですね。

今日はこれから懇親会です。
(終了しました)

中標津、とても暑いです。先生も「京都の方が涼しかったなあ」的におっしゃってました。だって会場エアコンないんだもん。

いや、でもそうか。扇風機で何とかなってるから、いちおう涼しいのかも知れません。

ではでは。

本気で夢想。 [宗教]

 『Angel Beats!』というアニメがあります。現在全国的に放送中。北海道では地上波はなし。でもBS-11でやってます。っということは、つまり今いちおう全国で見られるようになってます。

 企画して脚本を書いてるのは「麻枝准」(まえだじゅん)という人です。アニメやゲームの二次元的なモノに造詣の深い人でも、ジャンルが異なれば知らない人は知らない人だと思います。代表作は『AIR』『クラナド』『リトルバスターズ!』です。(みんなkeyという会社から出てる。一部アニメ化もされてます。)ましてや二次元がダメな人はまったく知らないでしょう。

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登録制の僧侶に登録しませんかという案内。 [宗教]

 フツウの方のところにはあんまり来ないタイプの(ネット上の)DMが来ました。全文引用します。

葬儀や法要・ご祈祷・各種供養の相談・依頼を”直接”受けることが出来る「僧侶ネット」
僧侶が更に利益を得ることが出来、僧侶の価値を高めるサービスをシステムに追加しました。

(追加システム)
①法話や講演の依頼を”直接”受けることが出来ます。
②「高齢者の安否確認システム」に参加いただけます。
*サービス開始は、1月20日頃を予定しています。
   オープン時には、プレス発表も予定しております。
   サービス開始時迄に登録いただいていると、より有効になります。

詳しくは、「僧侶ネット」トップページ右上の「僧侶登録案内」からどうぞ!

僧侶ネット  http://www.souryo.net/


 突っ込みどころ満載です。

  1.  ご祈祷するのは仏教としてどうなのでしょうか。少なくとも、わたしはいたしません。自分の思うように物事は進むときもあるし進まないときもある、その事実を事実として認識することが、わたしたちなかなかできません。できませんけれど、でも、それを、こちらから一方的に何かに向かってお願いする「祈祷」というカタチで解決できるというふうに、いわば迷いを増幅するようなことをする、それで良いとは思いません。たとえば、12チームがひとしく日本一を祈願して、願いが聞き届けられるのはたった1/12。それって真剣に考えると気が遠くなります。
     ご祈祷した上で、「これこそが迷いなんです。だから祈祷するのです。祈祷したから大丈夫ということではありません。祈祷せざるを得ないわたしのために仏教があります。そのいわれを聞かなければ、今した祈祷に、まったく意味はありません。」と事実を伝え、そして「さあ、だから一緒に聞いていきましょう。」とお誘いするっていうのなら良いのですけれど‥‥。
     「そのままのお救い」というのは、自身の迷いを迷いと知った「そのまま」であって、仏が何を救うのか、それがわからない上での「そのまま」では、ないと思います。うーん、なんというんでしょう。わたしが救われることがわからないなら、救われようがありません。そして、救われることがわかってくると、祈祷はしなくなります。。。うーん。
     
  2. 供養って、なんですか。わたしが凡夫である以上、わたしが何か供養することなんて不可能ですから、わたしはいたしません。できません。これは「真宗だから」ということではなく、他の宗派でも一緒かなと思います。「供養したい」という思いは大切ですけれど、それを実際に導師として行う場合には、常に五戒を守っている方がやらなければ、まったく意味がないのではないでしょうか。
     
  3.  「依頼を”直接”受けることが出来る」とありますが、登録内容を見た限りでは、直接ではなく、間に何か入るように思えますけれど、違うんでしょうか?
     ‥‥あ、違うから「依頼を直接受けることが出来る」とは書かず、わざわざ「”直接”」と「”」で括って「直接ではありません!」と表明されているのですね! それならば、すごく納得です。
     
  4. 「僧侶が更に利益を得ることが出来」の「利益」は、「りえき」と読むのでしょうか、それとも「りやく」と読むべきなのでしょうか。
     経済に組み込まれた存在である僧侶が法を伝えるためには、やはり金銭的な収入がなければならない、それはそうだと思います。しかし、だからといって「更に利益を」求めるのでは、ちょっと違う気がします。‥‥まあ、綺麗事ですけれど。
     ‥‥「りやく」だとすると、それが金銭的な「りえき」で得られるはずはありませんので、意味がわからなくなります。また、仏になる身に定まることの他に「更に利益」があるはずもないので、どのようなものであっても、やはり意味は通らないと思います。
     
  5.  「高齢者の安否確認システム」というのは、一体どういうことをするのかよくわかりませんが、言葉を聞いた感じでは、とても良いもののように思えます。ただ、僧侶じゃなくても良いと思います。でもうちのような田舎では、僧侶‥‥というより、お寺や地域のみんなで、お互いに安否確認をしている感じです。毎月ご門徒さんのところにお参りに行く「月忌参り」って、してみると、すごいシステムなんだなあと思います。恐らく、そういうことをなさろうということなんでしょうね。そこで「傾聴」なども絡めて、手軽な癒しから真実の救いへという、僧侶なら誰でもが関わる人すべてに願っている、その方向へ進んでいこうということなのでしょうか。だとしたら大変に素晴らしいことです。そうじゃないなら仏教ではありませんものね。
     
  6.  僧侶は単体ではいけないと思います。自分が救われる(あるいは自力で悟る)、そのいわれをきちんと聞いて(あるいは自力できちんと実践して)、たえずその「味わい」を他の僧侶と話し、聞く中で更新していかなければならない。僧侶は僧侶になった時点で完成体となったわけではありません。絶えず成長していく、それが僧侶ですから。
     
  7.  超宗派というのも限界があると思います。同じ球技だと言っても、サッカーと野球を無理矢理一緒にプレイしようとするのは無理です。それと同様、同じ仏教だからと言って、特徴が著しく異なる各宗派をまとめてしまうのは、どうかと思います。窓口はそれで良いと思います、しかし登録した中の僧侶がどうなるのか、その案内も何もないのでは他人事ながら不安でたまりません。
     
  8.  鎌倉時代に、比叡山から、法然聖人、親鸞聖人、道元禅師、日蓮上人、などなど、そうそうたるメンバの数々の僧侶が各宗派に分かれたのは、おおざっぱに言って、同じように「真実の救いを人々に!」という理念からでしたけれど、その「真実」への道筋の説き方がものすごく異なっているわけですから、‥‥当時からえらい違っていて、現代ではさらに分化しているのに、それをわざわざ、そもそもまとまらないものがまるでまとまるかのように演技することは、あんまりよくないことだと思います。

 などなど。

 スミマセン。気が立っています。上に書いたことはそのままわたしに跳ね返ってくるわけです。どうどう。(そして下に書いたことも跳ね返ってくる。)

 DMに登録を促されたサイトをちょこっと見た感じ、そこで「理念」として書かれていることの半分くらいは共感します。ただ、ここでやろうとしているようなやり方をしたのでは、ほとんどの部分が間違った方向に行くのは明白に思います。(しかし、なぜテキストではないのだろう? せっかくネットなのに、バリアフリー化する気はないのだろうか? とテーブルタグばかり多用する俺が言ってはいけないか。。)

 目的のためには手段を選ばず、ではいけないと思います。

 わたしはわたしで、なるべくしっかりやります。

 ともかく今日は、DMが複数、リスクマネジメント?などの、わたしにもお寺にもまったく不要な勧誘電話も複数かかって、せわしい日でした。(高校の同窓会名簿を見てかけてきたって言ってたが、それって許されることなのか?)

 DMは、配達されてすぐ見なければならないんじゃなく、時間のあるときにゆっくり見られるので、そしてざっと見てすぐ内容がわかるので、時間を奪われずに済みます。最高である。

 対し電話は「どういったご用件なんですか?かいつまんでスパッと言って欲しいんですけど?」と聞いても、どうにも説明のヘタな人が多くて(と説明ベタな俺が言うか)、時間が無駄にされるニオイがぷんぷんするので、だらだら喋り始められると、なんでもかんでも「ああ、うう、ええと、よくわかりませんが、まったく興味がありません」と言わざるを得ません。

 今日は「まったく」まで言ったところで「そうですか」も何も言わずに「ぶちっっ」って切られました。挨拶も出来ない人が営業の電話をかけてそれで良いと思っているようなところがあるんだなあ、と思いました。ひさびさです、こんなの。

 うーんと。

 アメリカで実現されているらしい、「ダイレクトフォンおことわり登録」的なのが早く日本でも実現しないかなあ。こっちが何かしようと思っているときに、自分の金銭的な利益のことしか考えてないから電話かけることができる、そういう傍若無人な人に時間奪われるのは、勘弁です。。。